noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

愛と肩書について

こんにちはー、noafaです。

昨日の「結婚式前に見たい映画」の続きです。

 

 

Sex and the cityの映画の趣旨について、

noafaの解釈と共に読み進めよう。

 

 

都会のキャリアウーマンたちは、

2つの「L」を求めている。

 

それは、「Love」と「Lavel」。

つまり、「愛」と「肩書(ブランド)」

 

しかし、キャリーは自分の結婚式の出来事を通じて、

本当に求める必要があるのは、

「愛」だけである。と、気付くのである。

なぜなら、「肩書(ブランド)」は、

そのものの本質を見えなくするから。

 

キャリーは、10年付き合った運命の人と信じたい

ビックとの「結婚」に舞い上がり、

結婚式をビジネスライクに進めてしまう。

その過程で、パートナーであるビックは、

自身が3度目の結婚であることもあり、

過去の失敗がうずいてくる。

 

「この結婚は果たして本当に正解なのか?」

ということを、彼はキャリーに確認しないと、

前に進めないところにまで、追い詰められていた。

 

しかし、キャリーはビッグが不安になっていることには気付いたが、

「なぜか?」というところにまで、考えが及ばない。

 

そして、「運命のいたずら」が起こる。

それは、本当に「些細なズレ」が生じ、

2人の愛を引き裂くのだ。

 

しかし、ここでnoafaは解説しておきたい。

「運命のいたずら」とは、「サイン」なのである。

人が進むべき絶対的な道(宇宙真理)があり

それからズレていくと、宇宙からの「お知らせ」が届く。

 

(宇宙):「あー残念、そっちじゃないよ。」

キャリー;相変わらず、ビジネスライク。

(宇宙):「もー気付かないんだったら、

早く気付くような出来事を与えてあげるね!!」

 

そうして現実世界に「些細なズレ」として出来事が生じる。

これは、宇宙の愛そのものである。

 

この「些細なズレ」は実は「愛」なのだが、

多くの人は、それに気付くことが出来ない。

そして「些細なズレ」は、いつしか

現実社会においては「重大な欠陥」となってしまうのだ。

 

正確には「重大な欠陥」という風に、

多くの人が「解釈」しているだけである。

 

どういうことかというと、

 

キャリーとビックの関係の間に入ったヒビ、

について、例を挙げて説明すると、

「些細なズレ」という事実は、

一般には「男女関係のもつれ」とか、

「パートナーシップの不均衡」とか、

はたまた「価値観の違い」といった言葉で

マイナスの意味で表現するのが多いのではないだろうか。

しかし、それはある種の「解釈」が生じているだけなのだ。

 

男女関係のもつれと解釈する人、

パートナーシップの不均衡と解釈する人、

価値観の違いと解釈する人

人がいる分だけ「解釈」があり、

多くの人にとっての「解釈」の共通項が

「一般認識」として存在しているかのように見えるのだ。

 

しかし、実際は「大切なものは目に見えない」のだ。

 

そして、「物事は上手くいくようにしか出来ていない。」(宇宙真理の愛)

この大前提を覚えたうえで、

ある角度から解釈すると、

 

「結婚」に舞い上がるキャリーに対して

不安感を募らせるビッグ。

 

「些細なズレ」が生じたお蔭で、

お互いにストップがかかり、内省をし、

 

ビジネスライクな「結婚式」を

神聖なる「わたしとあなたの結婚式」へ

見事、変容させたキャリーとビッグ。

 

だから、キャリーは気付くのである。

「結婚」といった「ラベル、ブランド(肩書)」ではなく

「愛」だけを求めるべきだ、と。

 

ここでのnoafaの解釈を紹介しておこう。

もちろん「愛」だけが究極の真理であることは、

言うまでもない。

ただ、「愛」の解釈も多種多様にあり、

それの内から、どのように選び取るかは、

個人個人の自由が広がっている。

 

例えば、キャリーとビックの例を挙げると、

彼らは、「愛」という中にある

「わたしとあなたの結婚式」という「ブランド」を

勝ち取ったのである。

 

noafa