noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

夫への不満からの起死回生

2017年11月1日

 他人と適切な距離感を図ることが社会においては必要だ。

ただ、パートナーシップにおいても適切な距離感というものがあるのだろうか?

 悶々とした思いを抱えながら、夫の帰りを待った。昨夜は、雇用保険の手続き、職リサーチ、新生銀行で資産運用相談、知り合いのオーナー店の閉店日だったのでご挨拶、ヤフオクフリマ出品商品の発送などなど、盛りだくさんで、朝から体調もあまり良くなかったせいで疲れ果てていた。一つ上手くいっていないと、脳が「ダメだ」と認識してか、どんどん、その状況を引き寄せるようで、その日は、とことんダメなことばかりやってくる。そう感じる。ただ、そんな時にも「応援してくれる人の支え」「明るさ」は大事だなと思った。何も言っていないが、母が心配してメールをくれた。知り合ったばかりのオーナーとバッタリ道で出くわして明るく手を振って挨拶してくれた。その瞬間は、暗い気持ちが一瞬でも切り替わった。なんか「嬉しい」という感情だ。ちょっとした出来事が起死回生のカギなのかもしれない。しかしながら、こんな今日のロー状態では、おそらく、夫の顔を見れば、また怒りがふつふつと湧いてしまうんだろうなと少し諦めて、ゆっくりお風呂に入ることが出来た。すると、あんなにもクタクタだった体が回復して、夫が帰宅した際に、「今日は洗濯物ありがとう」と言えた。先ほどまで、何度言えば、この洗濯物の干し方が直るんだろうとカリカリしていて、「あぁ、ありがとうって言わなきゃ。でも全然(今日は私が早く家を出るので、洗濯物を干してくれたことに)感謝出来ないわ」と思っていたにもかかわらず。意識して「ありがとう」と言えたことで、そこから「何か」が変わったのが分かった。夫が「今日は何をしていたの?」とか、つまらないだろう資産運用のこと等も興味を示してくれた。そして、もう一つ興味を示してくれたのが、キャンドルだ。幸せ戦先進国であるスゥエーデンでは、キャンドルの消費率が高いらしい。家族と過ごす時間をきちんととって、その時間にはキャンドルが灯っているそうな。それに以前、スピリチュアルの先生にも教えてもらったのだが、「心がざわつく時は、ロウソクの火をぼっと見つめなさい」って言っていたし、仏教でも護摩炊きというものがあるぐらいだから、炎の光は、何かしらの癒しの効果があるのだろうと思ったので、ずっとキャンドルが欲しいと思っており、わざわざ昨日、やっと買いに行けたのである。それを「試しに、灯してみっかな」と、夫が自ら言ったのである。自分でもわかるぐらい自分が笑顔になっているのを感じた。そして、夜に静寂の中、キャンドルを灯して、二人で読書をしたのである。言葉はなかったが、私はすごく満足感でいっぱいだった。