noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

自分らしさ

20171111

 今日は、というか最近、

近所で小さい親子連れを見ると、

里の事が思い出されて涙が出てしまう。

子育てってつくづく大変そうだなという、

自分もこれから

そこへ突入するのかという不安と、

自分が小さかった頃に

親から受けた愛情を思い出してしまうのだ。

気付けば、胸が痛くなるぐらいに

気持ちが詰まってくる。

でも、私はもう我慢しないことにしたのだ。

 

 本来、仏教用語で「我慢」とは自分で自分に

慢心してしまうという悪い意味だが、

現代の日本文化では「奥ゆかしさ」といったように、

「我慢」が美徳とされる傾向にあるので、

私は今まで無理して「我慢」に

どっぷり漬かってきた。

だから、社会で気を遣いすぎで人と接し

我慢するあまり、慢心してしまって、

変なところで感情にブレーキが

かからなくなってしまうことが多々あったのだ。

 

 今は、幸いにも

家に居られる時間が長いので、

無理に涙を止める必要がなく、

泣きたい時には涙を流して浄化する。

すると、ある考えが浮かんできた。

 

自分が何になりたいか。

本当はどうしたいか。

更々分からなくて苦しい。

 

 そんな時にテレビで出ていた女優の

話から、緊張を隠して強く必死で

努力している様子が見て取れた。

その姿と比べて、自分はそんなに

ストイックに何かに取り組むなんて

やはり無理だと打ちひしがれる。

やはりテレビに出られるような

突出した成功者には到底近づけない。

と、自分を責めてしまうのだが、

ありのままに涙を流していてふと思えたのは、

その女優のような努力出来る姿は確かに美しい。

けれど、それを認めたうえで、

例え自分がそれに値しないからといって、

どうして自分を蔑んで見る必要が

あるのだろうか。

何かになりといと強く願って

達成させた人はもちろん素晴らしい。

しかし、例え何かに成れなくたとしても、

自分が自分であることを認められたら、

それこそ本当に素晴らしいことではないのか。

と思えた。

自分が自分らしくいる、つまり

その為には自分の事をよく知る必要がある

のだろう。具体的にはどうするのか。

 

 それを見つけるために毎日祈ることにした。

「私が本当にしたいこと、

魂の目的を教えてください。」と。

そして、出来る限りこの感情日記も続ける。

何故ならば、とても良い記録になるし、

後で自分が思っていたことを

振り返ることで新たな気付きがもらえるからだ。

そうやって自分と向き合えることが

何よりもの生きる良薬だ。