noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

寂しさ

2017年12月3日(月星座♉→♊)

 

先週はハードだった。

夫の同級生のお誕生日を祝う為に遥々行った富山旅行や、

夫の母が東京へ遊びに来た。

夫が休日出勤をし、午後から夫の母とランチをして義母を見送り、

その後は夫と二人で東京デートの予定だった。

しかし、夫は仕事の目途が立たず、食事だけ済ませて

私を義母と共に東京駅に残して行ってしまった。

彼が仕事に忙しいのは頭で理解できるし、

もう攻撃する気も起きない。

ただ、ただ寂しい。

これを言ってしまってもいいのだろうか。

朝ドラでも同じテーマをやっていた。

ドラマの中でも新妻が「寂しい」と口にしてしまうと、

もう取り返しがつかなくなりそうで

堪忍袋に感情を溜めまくって、挙句の果てには

堪忍袋の緒が切れてしまうというストーリーだ。

 

それと最近は専ら「お金」のことが心配である。

夫の同級生の妻から第二子を授かったと聞いたことからだ。

子供を持てるのは、授かり物で喜ばしいことだ。

しかし、彼女の発言に違和感を持ってしまった。

彼女は現在、育休中である。

詳しいシステムは分からないが、

「育休中の期限が迫ってどうしようかなと思ってて、

旦那に相談したら「いいよ」と言ってくれたので

子供を作ったら出来た」と言うのである。

状況説明として、そういう発言になってしまったのかもしれないが、

私には違和感が残った。

東京に戻ってから何故だろうかということを考えた。

産休や育休という制度を利用するのは権利だし、

子育ては、それはそれは大変な仕事だろうから

優遇されてしかるべきである。

しかし、実際は制度として「みんなの幸せ」を考慮したものだろうか。

それがずっとサラリーマンをしていた時に思っていたことだ。

同じ子供を将来持つ可能性がある女性として、制度があるのは有難い。

「将来その制度を享受するかもしれないから文句言っちゃダメ」と

同期に諭されたこともあったが、その時も腑落ちしなかった。

というのも、実際は全員がその制度を利用できるわけではないので、

どうしても残された人に負担が重くなる。

そういう問題があるのに、そこに触れること自体がタブー

されてしまう事に問題を私は感じた。

私も権利があるなら、敢えて触れずにいた方が楽であるに決まっているが、

そもそも男性にはその権利は与えられているのか?とか

疑問は生じてくるばかりだった。

恨むべきは制度を享受している彼女たちではなくて、

システムを恨むべきというコラムも読んだことがあった。

確かにそうなのだが、代替の制度などすぐに出てくるはずがない。

その際に必要なのは、社会に属するみんなの制度への理解であろう。

つまり、制度は誰かの「give」によって成り立っていることを理解し、

制度を享受する側も「感謝」という気持ちを

世の中に還元していくべきなのではないかなと思う。

私が感じる違和感というのは、主に前職場でそうだったのだが、

産休育休であれ、アクティブシニア制度であれ、

生産性は落ちているのに口ばかり動くシニア世代であったり

恩恵を享受する必死な子育て世代であったり

制度に対してどこか「当たり前でしょ」とドヤ顔な人がいるのは残念である。

生活や子育てが大変すぎて大切な何かを忘れてしまっているように感じてしまう。

それを周りに感じさせない制度や

みんなの幸せが回る制度ってどんなもんだろう、

てなことをつらつら考えながら、

実際、自分が子供を授かったらどうやって生活していこうとか、

と考えると苦しくなってしまった。

 

そして、明日からいよいよ職業訓練で不動産の学校が始まる。

時間の制約が出来てどのように生活が変わるだろうか。

不安で寂しくて、母と電話で話したら、

心の蓋が取れたようで、涙が凄く出てしまった。

あとは何とか気力を振り絞って泣きながらもやることをやった。