noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

瞑想はいかほどか

2018年1月25日

 

今日は3日ほど前に始めた瞑想についての効果のほどを書かせてもらいます!

noafa.hatenablog.com

 

私がやっている瞑想は

呪文のような素晴らしいお言葉を

イメージと共に唱えるものです。

 

その一文に、

「生きとし生けるものが幸せでありますように。」

というものがあります。

 

つまり、親しい人も嫌いな人も幸せであるようにと祈るのだ。

 

これを3日間ほど続けている。

 

といっても、まぁ空き時間に祈るだけ。

湯船に浸かりながら~~

お茶碗洗いながら~~

満員電車に揺られながら~~

 

本によると、「全ての状況が改善する」とあった!

本当に?!

ということで、実験として実践していたら、

 

今日は効果を実感できた!

 

昨日のブログで書いたように、

noafa.hatenablog.co

私の感情をザワつかせてくれたAさんの一件を振り返って、

自分の方向性が少し見えたところで、

Aさんの人格がどうとかこうとかは関係なくて

フラットな視線でAさんと付き合うにはどうしたら良いのか。

ということである。

 

自分の境界線を保ち、Aさんと上手く距離感をとれればいいのだが、

自分が少しでも違和感といったネガティブな感情をもった瞬間に

Aさんは必ず自分の心地よい境界線内に入ってくる。

これは必ず起こる法則であって、スピリチュアル的な観点から解説すると、

 

私がAさんにネガティブな感情を生じる=需要

Aさんは私の境界線内に入る=供給

要は、需要と供給の一致で起こるのだ。

 

だから、ネガティブな感情は消化しきらないと、

一瞬、無視するぐらいではその状況は容易には消えてくれないのである。

 

私のケースにおいても、

Aさんに対するネガティブな感情を見直したものの、

「本当にもう大丈夫?」と宇宙からお試しがやってきて、

案の定、お昼休憩時間に違う人とと食事をしていたら、

Aさんは「お隣、失礼しますー」と言って、隣の席に座った。

この時はAさんは自ら会話には突っ込んでこなかったが、

自ら会話に参加するでもなく、ぶっきら棒に食事をとっていた。

私は向かい側の人と食事をしているのが、横のAさんが気なって仕方ない。

試しに自分から他愛もない話題をAさんにふってみた。

最初は私も無愛想の不器用な対応であったかもしれないが、

ネガティブな感情の克服は必ず波動に影響をするので、

信じがたいだろうが、Aさんとも会話が進み、

最終的には他の受講生も交えて食事をして笑い合うことが出来た。

 

なんとまぁ!

 

しかもAさんは非常に示唆に富んだ発言をしてくれた。

「女性は何かしら、たちどまらないといけない時間がどんな人でもある」

と教えてくれたのだ。

 

瞑想との関連性は論証できないが、

確かに、自然で穏やかで美しい時間の流れを感じた。

 

 

 

大発見!

2018年1月24日

 

今日は学校で他の生徒さんに違和感を感じてしまった。

その内容は本当にどうでもいいこと。今顧みたら。

けれど、その時はカッと感情が沸いてきて、リアクトしてしまった。

 

ずっと謎だった、というか上手く説明も出来ないし、

描写できないような自分のネガティブな感情の反応についての

(後から振り返るとしょうもなさ過ぎて、

なぜそんな感情が沸いてきたのか考えようともしなかった。)

対処法が分かった!

 

「違和感」といったネガティブな感情を感じた時は、

 

「一体自分のどこの部分がこの現実を創ったのか?」

「自分の何が抵抗しているのか?」

 

それを距離をおいて、感じてみることが大事である。

 

例えば、私のケースだと、

今日はAさんとのやりとりで違和感を感じたのは、

私が他の人と話をしていたにもかかわらず、

無理矢理に会話にAさんが割り込んできて、

「○○って言ってたじゃん!」とか

「あなたは絶対○○○○なんだよ~」と

Aさんが言い放ったことである。

 

これを距離を置いてみると、

「私は、頼んでもいないのに押し付けられるのが嫌い」

「私は、枠にあてはめられるのが嫌い」

「私は、勝手に決めつけられるのが嫌い」

ということが分かった。

 

これは別にAさんとは関係の無い話である。

 

ただ、なんとなく低い波動で現実生活を送ってしまうと、

 

頼んでもいないのに押し付ける⇒Aさん

枠にあてはめる⇒Aさん

勝手に決めつける⇒Aさん

 

これは=私はAさんが嫌い。

 

と脳内で変換されてしまう。

 

そうではなくて、本当に大事なのは、

 

「私は、頼んでもいないのに押し付けられるのが嫌い」

「私は、枠にあてはめられるのが嫌い」

「私は、勝手に決めつけられるのが嫌い」

という自分を知ることで、

人生の舵切が出来るのだ。

 

つまり、本当の自分を生きる方向付けをしてくれているのだ。

 

頼んでもいないのに押し付けられるのが嫌いなら、

私は、望んでいる人に望まれるサービスを提供したい。

 

枠にあてはめられるのが嫌いなら、

私は、枠に囚われて人を判断しないようにする。

 

勝手に決めつけられるのが嫌いなら、

私は、状況をよく見てから判断する。

 

と、自分が本当に望んでいる状況

しいては自分が本当に大切にしたい価値観ハッキリしてくるのだ

 

 

不安からの解放を求めて

2018年1月21日

 今日は心の内を素直に明かす。

収入が無くなる不安、

話す相手が少ない不安、

そして東京で基盤を作っても2,3年後には、

また頼る人無く雪国で生活しないといけない不安。

 

不安だらけだ。

 

 先日の山羊座新月では高熱が出てしまって、体調を崩した。

不安は無い無い無いにフォーカスしている自分の心癖であって、

実際に「今」を生きていないだけだとか、

普通に生活できることがどれだけ幸せな事か、など

物事をあるがままに見られていないのかもしれないのは分かる。

けれど、一番の問題は

一体どうすれば、

自分にとって本当に幸せであるか

が、私自身分かっていないことだ。

外の世界に目を向けると、外の世界はもっと広く、

私の考えが全然及ばない深刻な苦しみや悩みを

抱えた人がきっと多くいるのだろう。

それに比べて自分の悩みなんぞ、

考え方ひとつで解決しそうなものだが、

私にとってそう簡単ではないのだ。

何を隠そう、

それを身近に理解してくれる周りの人が少ない

ということも問題なのだ。

 

 【感情をブツければ、つまり愚痴を吐き出すこと、それは傲慢であり、相手のエネルギーを奪うことになるので、感情を分ちあえ、つまり問題の解決を見つけろ】

 

と本にあって簡単な事例と共に紹介されるので、

それはそれで、なるほどそうかと思うが、

実際に自分のケースに当てはめた場合に

そんなに簡単に解決策が出てこない場合は

どすればよいのか、という話になってくる。

 

 人間というものは、疲れたり、余裕が無くなると

マイナスの悪循環に陥りやすいのだ。

ここでひとつ、すがるような想いで、

休みの日や隙間時間に「瞑想」たるものをしてみることにした。

ヴィパッサナー瞑想」である。

【明確に見る】という意味合いがあるようだ。

詳しくは分からないが、モノは試しで、

とりあえずやってみよう。

 

祈りに近いものもある。

心のインフルにかかってソウルメイトを思い出した夜

2018年1月17日(月星座♑)

 

2,3日前に夫がインフルエンザであると診断されてから、

「私はインフルにはかからないから」と業を切っていたが、

体調が頗る悪い。

腸にいい、栄養価の高い、バランスも良い、

お高いサプリメントやら漢方を服用しているが、

夜が寝られない。

これが最も辛い事である。

 

理由の一つに、夫の夜な夜なの咳の大音量である。

父もそうであったが、男性はなぜあんなに咳の音が大きいのか。

まるで「しんどい僕~でもそれに耐えて強い僕~」と

聞こえてしまうのは私の性格がねじ曲がっているからだろうか。

その咳で、一昨日決定的な事が起こった。

夫が咳をしながら、まさかのお口のツユを私の顔面に発射してきた。

わざとではないにしろ、女性にとって顔に体液をかけられるとは、

これほど屈辱的なことはない。不愉快だ。

本当にカーーーー!!!!っときた。

 

そんな小さなことから、自分の体調が良くないこともあって

どんどん追い詰められていく感じがしていた。

現在、私は生活環境もガラリと変わって、

主婦業+職業訓練で資格取得のお勉強をしているが、

資格取得は将来の役に立つのか、

はたまた、今後の理想のライフスタイルと現実のギャップを

どうやって埋めていけばいいのか、

脳内を反芻して、まるで何かに追われているような感覚がある。

 

そしてよく寝付けないまま朝が来て、

本来なら仕事に行かざる得ず、

家事をせざる得ず、

子供の世話をせざるを得ず、、、

と、どんどん余裕がなくなってゆき、

私のように心の弱い人が

心の病気にかかってしまうのだろう。

 

今、私が受講中職業訓練の一環で、

「自分を知る」ことに取り組んでいるため、

改めて自分の性格や強み弱みなど、棚卸しているが、

これが案外面白い。

夫や家族、つまり心を許せる人にはこんなにも強い私が、

やはりメンタルが弱い方であったっと思い出した。

自分にとって心地よい環境が整うと、本来の力を発揮して、

自信をもって能力を使えるが、

心の拠り所が見えなくなってしまうと、しゅんとなる。

だけならまだよいが、、どんどん悪い方に思考が向かい、

自分を追い詰めてしまう。

これではきっとこの街、東京では簡単に鬱になってしまうことが

容易に想像できる。

人はこんなにもたくさんいるのに、

心の通う会話を出来る人が何人いるだろうか。

 

これは私のかつての経験だが、働いて京都にいた時でも同じであった。

職場である銀行のビルに一日缶詰になり、心通う会話がほとんどなく、

仕事上だけのコミュニケーションしかとれなかった時は、

本当に辛かった。

だから、泥沼からなんとか這い出ようと、

心理学の通信教育課程を修了して、

上級心理カウンセラーの資格を取得したのだ。

 

そんな私が、昨晩寝付けなかったのは、

そうやって日々努力しているつもりでも、

実生活で活かしきれないこと、

誰かの何かの役に自分が立てないこと。

毎日やりたいことを模索する贅沢な日々の中で、

見つからない焦りと体調不良と些細な事件で

自分自身が保てなくなったからだ。

 

そんなことを布団を抜け出し夜中の2時になって考えていたら、

夫が自分の薬を飲みなさいと起きてきてくれた。

 

彼に聞いてみた。

「私はあなたに色々ムカついてしまうけど、

あなたは私に何か改善して欲しいところはある?」

 

「別にないかな。よくやってくれていると思っているから。」

と夫は言ってくれた。

 

彼はスピリチュアル的に完璧な人だ。

あるがままで認めてくれる。

 

そして私は思い出したのだった。

私が彼と結婚を決めた理由を。

 

彼がソウルメイトだと直感で分かったのだ。

 

初めて会った時に彼と目が合って、

素直に甘えられたのだった。

 

たったそれだけ。

 

でも、やはり日常生活のいざこざは

彼とでもやっぱり色々ある。

そんなことが分かったけれど、

 

私がそうであるように、

誰でも一人一人ソウルメイトがいて、

あなたを必要としている人が必ずいる。

 

そのことを思い出した夜だった。

結婚という契約

2018年1月3日(月星座♋)

あけましておめでとうございます。

今年は仕事を辞めて初めてのお正月。

結婚して初めてのお正月。

里を離れて初めてのお正月。

全てが初めてで少し戸惑うこともある。

けれど、少しずつ二人のズレを解消しようと努力していて

幸いにも夫がよくサポートしてくれたので、

無事に、掃除したり、おせちを作ったりして、

それなりのお正月を迎えられたことに感謝している。

クリスマスにはレンタカーをして

日帰りで熱海にお出掛けも出来た。

夫の休日に長時間一緒に過ごせると、

本当に心がほぐれていく。

少し、お互いがお互いに慣れて、

ボサボサの頭で一緒に居たり、

顔の距離が近くてお互いの肌の毛穴が目立ったりもする。

けれど、これも結婚というものなかなと思う。

「結婚」という制度がない世界もあるようだが、

この「結婚」というものは良く出来た究極の契約だと感じる。

全てを知っているわけではない人間を

パートナーとして心を擦り合わせる努力をしてくのだ。

お金・健康・肉体関係が絡んでくるため、

それはまぁハードな仕事であると思うが、

そこから愛を見出せるかいなかが、

家庭と言う組織の発展の程度がかかっている。

中国人の彼女

2017年12月20日

最近は不動産の学校に慣れてきた。

何となくコミュニケーション取れる人が出来たからだ。

改めて思うのだが、

年齢・境遇等が違う人たちが

コミュニケーションを取ろうと思うと、

何となく話しやすい雰囲気が出ているといった

ノンバーバルの部分を手掛かりに話し始めることが多いと思う。

見た目、つまり表情・態度だけでなく、

服装など外見を形成するものはやはり大事だと思う。

私が学校で特に仲良くしている人は外国人であるNさんである。

私は前職も外国為替の仕事をしていたので、

中国人と一緒に働いて、彼女たちの生き方を面白いと思っている。

異国の地で明るく生きていて本当に逞しいし、

見習う点が多いからだ。

Nさんも中国人だ。

日本人と結婚して、二人の女の子がいる。

けれど、こそっと教えてくれたが、

「旦那さんはいないの。年上の彼氏はいるけどね」っと。

彼女の生き方を見ていて思うのだが、

楽観性というのは本当に大事だと思う。

カラッとした明るさに、またあの人と話したいと自然と思うのだ。

 

自分の芯を探る

2017年12月16日

前回、感情を殴り書いて寝る準備をしていたら、

夫が帰って来て「すみませんでした」と謝ってきた。

次の日も早いのでとりあえず休むことにした。

が、今日に至るまで色々なことがあった。

次の日に、婚姻によって親戚となった人が

大阪でソロオペラリサイタルを行うことになったので、

時間と手間を掛けて東京から向かった。

そこには、行くの面倒だなとかネガティブな感情は無かったが、

やはり行く以上は手土産を用意したり、

こちらからもなんらかの周到な準備が無ければ

相手に失礼だという気持ちがあったので、

東京でしか手に入らない手土産なんかを探して持参した。

しかし、義母からは形上を見て

「そんな小さなものでは間に合わない」と言われてしまった。

義母は優しい人なので、きっと息子夫婦ではなく、

相手側の親戚の肩を持ち、

自分側を蔑むことで敬意を示したのだとは頭では理解できるが、

そういう考え方があまり好きではなく、

心がついていかず義母の言葉に傷つき、

その晩も夫と喧嘩をした。

 

結婚とは何だろう。

好きな人と結婚したのに、その好きな人の両親問題が出てくる。

ここまで書いていて、2017年11月27日を読み返してハッとした。

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目の前の生活のごたごたしたことで

大切な事が見えなくなることは多々ある。

けれど、その時こそ魂の進化が遂げられる

絶好のチャンスであることを忘れてはいけない。

色んな人が色んなことを言ってくるけど、

やはり「自分はどうしたいのか」という芯を

常に大事にし続けないといけないと思う。

 

環境の変化

2017年12月6日(月星座♋)

 

今日は学校の授業が本格的に始まった。

朝から夫の方が家を出る時間が遅かったのだが、

相変わらずダラダラされることに朝から腹が立った。

人を攻撃することは自分を一番傷つけると分かったので、

怒らないようにずっとしていたが、

やはり今日は体調も良くないみたいで、

というか慣れない環境で学習をするというのが結構しんどい。

それに、相変わらず睡眠環境が良くない。

真夜中に寝がえりの激しい夫が出す音に起こされるのだ。

そして今日も。

明日は夫の親戚のソロリサイタルで関西へ行くので明朝が早い。

それにやっと初の里帰りが出来るのだ。

それなのにまた夫が夜の徘徊に出掛けて、

真夜中を過ぎても帰ってこない。

明日の段取りもあるし、家の事をほんの目先の事しか

見えていない夫に腹が立つ。