noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

学校

2017年12月5日

 

昨日は池袋サンシャイン60というオフィスビルにある

ハウスメーカという不動産会社に社会見学に行った。

場所が41Fで見晴らしが解放的で良かったのと、

会社説明会を受けて、知らない何かについて知る機会に、

私はこういうセミナーが好きなのかもしれないと思った。

その後に訓練校に戻って、自己紹介として、

訓練に参加しようと思った動機や

今後の希望の仕事というテーマで皆が発表した。

やはり周りに人がいて、やらなければならない

という学校の状況に果然やる気が出た。

学校なんて毎日行かなければならないもので

嫌なものとしか思っていなかったが、

このどこともなく湧いてくる「気力」の力の偉大さを感じた。

結局、仕事の方向性としてはまだハッキリしていないのだが、

3か月という猶予を貰ったと思って感謝しようと思う。

なんせあんなに前日まで嫌で嫌で仕方なく、めったにない下痢をしたり、

胃腸が痛かったので、これは「行くな」という体からのサインか?!

と思って、一体どうするべきか本気で悩んでいたのに、

追い込まれると「やなければ」というしゃんとした気持ちになるのは、

まさに私の月星座が山羊座で無意識の力であろう。

訓練校から戻り、図書館へ行き、スーパーに行って

晩御飯までテキパキ作ってしまった。凄いエネルギーだ。

 

図書館で面白い本に出会った。

「世界の学者が考える愛」という本だ。

学者たちが立派な研究結果として「愛」をテーマに思考している。

その本をパラ読みしていて思ったのだが、

海外はこういう研究がきちんとされているのが面白いと思う。

日本ではせいぜい社会学という名目ぐらいであろう。

やはり、私は興味のあることを「学ぶ」のが好きみたいだ。

 

それに「東京人」という雑誌を見ていて

辛酸なめこさんのコラムを読んで思ったのが、

いろんな所へ出掛けて独自の言葉遣いで情報を発信している

彼女のようなコラムニストにやはり憧れる。

あとはドナルドトランプ氏の

「でっかく考えて、でっかく儲けろ」という本も面白い。

まだ途中だが、彼のようなバリバリ体育会系の大物タイプを

少しキツイなと思うことはあるにしても、

単純に「スゴイ」と思うのも私の特性かもしれない。

寂しさ

2017年12月3日(月星座♉→♊)

 

先週はハードだった。

夫の同級生のお誕生日を祝う為に遥々行った富山旅行や、

夫の母が東京へ遊びに来た。

夫が休日出勤をし、午後から夫の母とランチをして義母を見送り、

その後は夫と二人で東京デートの予定だった。

しかし、夫は仕事の目途が立たず、食事だけ済ませて

私を義母と共に東京駅に残して行ってしまった。

彼が仕事に忙しいのは頭で理解できるし、

もう攻撃する気も起きない。

ただ、ただ寂しい。

これを言ってしまってもいいのだろうか。

朝ドラでも同じテーマをやっていた。

ドラマの中でも新妻が「寂しい」と口にしてしまうと、

もう取り返しがつかなくなりそうで

堪忍袋に感情を溜めまくって、挙句の果てには

堪忍袋の緒が切れてしまうというストーリーだ。

 

それと最近は専ら「お金」のことが心配である。

夫の同級生の妻から第二子を授かったと聞いたことからだ。

子供を持てるのは、授かり物で喜ばしいことだ。

しかし、彼女の発言に違和感を持ってしまった。

彼女は現在、育休中である。

詳しいシステムは分からないが、

「育休中の期限が迫ってどうしようかなと思ってて、

旦那に相談したら「いいよ」と言ってくれたので

子供を作ったら出来た」と言うのである。

状況説明として、そういう発言になってしまったのかもしれないが、

私には違和感が残った。

東京に戻ってから何故だろうかということを考えた。

産休や育休という制度を利用するのは権利だし、

子育ては、それはそれは大変な仕事だろうから

優遇されてしかるべきである。

しかし、実際は制度として「みんなの幸せ」を考慮したものだろうか。

それがずっとサラリーマンをしていた時に思っていたことだ。

同じ子供を将来持つ可能性がある女性として、制度があるのは有難い。

「将来その制度を享受するかもしれないから文句言っちゃダメ」と

同期に諭されたこともあったが、その時も腑落ちしなかった。

というのも、実際は全員がその制度を利用できるわけではないので、

どうしても残された人に負担が重くなる。

そういう問題があるのに、そこに触れること自体がタブー

されてしまう事に問題を私は感じた。

私も権利があるなら、敢えて触れずにいた方が楽であるに決まっているが、

そもそも男性にはその権利は与えられているのか?とか

疑問は生じてくるばかりだった。

恨むべきは制度を享受している彼女たちではなくて、

システムを恨むべきというコラムも読んだことがあった。

確かにそうなのだが、代替の制度などすぐに出てくるはずがない。

その際に必要なのは、社会に属するみんなの制度への理解であろう。

つまり、制度は誰かの「give」によって成り立っていることを理解し、

制度を享受する側も「感謝」という気持ちを

世の中に還元していくべきなのではないかなと思う。

私が感じる違和感というのは、主に前職場でそうだったのだが、

産休育休であれ、アクティブシニア制度であれ、

生産性は落ちているのに口ばかり動くシニア世代であったり

恩恵を享受する必死な子育て世代であったり

制度に対してどこか「当たり前でしょ」とドヤ顔な人がいるのは残念である。

生活や子育てが大変すぎて大切な何かを忘れてしまっているように感じてしまう。

それを周りに感じさせない制度や

みんなの幸せが回る制度ってどんなもんだろう、

てなことをつらつら考えながら、

実際、自分が子供を授かったらどうやって生活していこうとか、

と考えると苦しくなってしまった。

 

そして、明日からいよいよ職業訓練で不動産の学校が始まる。

時間の制約が出来てどのように生活が変わるだろうか。

不安で寂しくて、母と電話で話したら、

心の蓋が取れたようで、涙が凄く出てしまった。

あとは何とか気力を振り絞って泣きながらもやることをやった。

魂の格闘

2017年11月27日(月星座♓)

昨日はネガティブ思考で、頭痛も少しするし、

一日なんとなくバツの悪い感じがしていた。

なので、気分転換に新宿御苑に行った。

とても人が多かったが帰りに図書館へ出向き、面白い本と出会った。

若月佑輝郎の「スピリチュアルリーダーになる」という本である。

海王星がホームグラウンドである12ハウスにあるので、

ここ最近はスピリチュアルにブームがあると言えるが、

興味を持って色々取り組んできた自分でさえ、

スピリチュアルについてよく分かっていない事が分かった。

スピリチュアルとは「怪しい」とかではなくて、

実生活で実践して体得して

初めて「意味のあるもの」になるのだと思う。

スピリチュアルとは、

心理学的や行動経済学的にとかいった学問的要素から見たり、

占星学的に研究されたエネルギーを見たり、

要は「目に見えないモノ」だが「確実に存在するモノ」が、

この地球には働いていて、

それを勉強するという意味合いを総称して

「スピリチュアルに生きる」と言えるのだと思う。

 

さんざん夫への不満感情を書き込んできたが、

私のモヤモヤする根底には

「どうして、あんな風に運命に導かれて出会った夫に対して

こんなネガティブな感情が露呈するのだろう」ということが

腑に落ちなかったのだ。

しかし、この本を少し読んだり、

前から勉強している星読み徒然草のハルミ先生の占星学的にも考えて、

どうやら私の魂は「何か」をなんとかして乗り越えようと格闘しているのである。

だから、いろんな感情を見せてくれているし、

本当に変われるということを後押ししてくれている

という風に感じられるようになった。

 

私は今週末から12月に入り、不動産の勉強をしに新しい学校へ行く。

その興味の対象が果たして宇宙意思と調和しているのか、

つまり私が本当にやりたいことなのか、

ハッキリしていないので不安や焦燥感でいっぱいになっていたのだと思う。

ただ、乗り越えないといけない「何か」があるのだから、

そのことを意識して取り組んでみようと思う。

具体的には自分の気持ちに向き合い続けることである。

つまり、それは生じてきた感情の根源は何かということを

明確にする作業を行うことである。

俗に内省するというのだろうか。

その結果、私の場合は、最近の夫へのネガティブな感情は

「自分が変わる」ことへの不安、恐怖を

相手に投影して見ていただけだと分かった。

だからダラダラする夫に「なんでもっとテキパキ動かないの?」と思うのに、

いざ考えると、自分の行動も全然テキパキしたものじゃないし、

早く行動しなきゃと焦る自分に「もっとテキパキ動いて!」と

自分に言っていたのに過ぎないのでであった。

夫がテキパキ動かないのが問題なのではない。

やはり自分の問題なのである。

このことを意識してこれから毎日過ごしてみようと思う。

そうすれば、きっと人生もっと主体的に生きれると思うから。

よく分からない感情

2017年11月26日(月星座♒→♓)

 

24日~25日にかけて、夫と彼の両親と長野旅行へ行った。

彼の両親が毎年の恒例行事として長野に旅行へ行っているので、

昨年から参加させて貰っているのだ。

相変わらず私に良くしてくれている両親だが、

急にふと無性にいい気分がしない時がある。

なぜだろう?自分でもよく分からない、子供のような感覚である。

上手く説明できないが、ダダをこねたくなるぐらいに「何か」が気に入らないのだ。

やはり、こういうことが結婚には伴う。

紙状は家族でも、

生まれて現在までの30年間の歴史や価値観が違う家族を

家族として接しないといけないことは凄くストレスだ。

 

旅行中にも夫には仕事場からの電話があり、

その時の夫の応対を見ていて思ったのは、

彼は自分がクライアント側の業者にも寛大である。

結果、自分の仕事の納期が遅れて上司から叱責される。

私だったら相手の責任まで負うことはしない。

どこか見ていてもどかしい。

なじりたくなったが、夫が明らかに元気を失っていたので心配になる。

心配だが、イライラもする。

言葉に上手く表せない感情が確実に存在するのだ。

それで夫に聞いてみた。

「私ってワガママ?」

「そんな風には思わないよ」と夫は言ってくれた。

優しい夫に惚れ直し、機嫌を取り戻した帰りの電車では

調子に乗って、過去の自分の恋愛話を夫に暴露してしまった。

自制心が足りなかったかなと思いちょっと後悔もしたが、

少しづつ心の公開も出来て良かったとも思う。

よく分からない自分の事

2017年11月23日(月星座♑)

 昨日は夫の帰りが真夜中の12時前だった。

まずは自分から夫に向き合おうと思って

待っていたのに、待ち疲れてしまって、

まともな会話をしようにも、

結局変に突っかかってしまう。

身近な人も幸せに出来ない自分の小ささに嫌になるが、

自分を嫌っても仕方ない。

結局、夫と向き合うのは断念して

一人ベットで本を読んだ。

お金をテーマとした本ではあるが、

更に一歩踏み込んだ思慮深いことが書かれていた。

「お金について学ぶことは自分ついて知ること。

自分の生まれてきた目的を知ること。

そしてまずは自分を解放し、

そして周りが解放される手伝いをすること。」

とあった。

もう30歳になるが、結局のところ

私は自分のことが今だよく分からない。

そして、そんなものを追求するよりも先に、

働いたり、目の前の事に取り組むのが

大事なのかもしれない。

そうは思うものの、

やらねばならぬ事に追われるのは嫌だ。

生活の為だといって仕事をするのは

もう嫌なのだ。

そんなことをツラツラ考えていたら

涙が出てきてしまった。

そこに夫が部屋にやってきた。

「電気が消えないなと思って」と。

夫はやはり神タイミングでやってくる。

素直に今感じている事として

「なぜか夫に優しく出来ない」と伝えると

「分かっているから大丈夫。」と言ってくれた。

夫がいてくれて本当に良かった。

 

しかし、そうかとおもった矢先、

夜中に私の布団に侵入してきて、

挙句の果てには、私の布団を引っ張り上げて

自分のテリトリーへ帰っていった夫。

朝、本人に確認したら、寝ていて全く無意識だそうだ。

私はよく寝られなくて、金縛りのようなものを体験してしまう。

 

夫は神なのか悪魔なのか。

究極の引っ張り合いである。

彼の存在を有難いと思う今日この頃、

彼の存在でストレスを抱える今日この頃。

この関係にも早くバランスを見つけたいと思う。

不調の時でも大丈夫

2017年11月22日(月星座♑)

今日は姉の夢を見た。

昨日、家系図について考えていたからだろうか。

最近、睡眠がなんとなく苦しい。

起きないといけないのに、起き上がれないという感じだ。

 

 身体が怠いので、なんとかしようと思って、

新宿御苑の自然を気分転換に見に行くことにした。

入園してすぐさま目に飛び込んできたのは、

なんと女性が倒れている。

走って駆け付けたところ、

どうや足が悪いようで、意識はハッキリしているが、

自力で起き上がれないとのことで、

支えになって起き上がてもらうようにサポートした。

途中、他の男子学生が一人「大丈夫ですか?」

と声をかけてくれたが、

彼女は気丈にも「大丈夫です」と返答した。

彼女を支えた私の手袋には

彼女がこけた際に擦りむいた手の血が染まっていた。

正直ちょっと驚いてしまって、

彼女が「ありがとうございました。」と言ったので

「もう行きますね」と足早に去って行ってしまった。

駆け込むように温室に向かったが、

ショックを隠し切れなかった。

彼女は事故か先天性かはわからないが、

足も不自由な中、一人で秋を楽しみに出掛けてきたのだろう。

御苑の景色はもちろん美しかったが、

そこには楽しそうな人は誰かと一緒にいて、笑いあっている。

当たり前だが、人間は一人では生きていけない

ということをまざまざと宇宙に見せてもらった

という感じがした。

温室を観覧中はもっと彼女に寄り添うべきだったかな

とか考えていたが、温室を出たら

偶然元気そうな彼女に再会して、

「休憩とかしなくても大丈夫ですか?」

と声を掛けたところ、

「大丈夫です、ありがとうございました。」

と言ってくれたので少し安心した。

そこには季節外れの桜が咲いていた。

 

 紅葉がとても綺麗でブラブラ歩いた。

東京に居ても、昔、母とよく行った

近くの自然公園と同じ匂いがするから不思議だし、

やはりまた自然の力をまざまざと

見せてもらっている感じがした。

そこには時空を超えた感覚があった。

 

 帰ってから、本田健さんの

「スイス人銀行家の教え」の続きを読んだ。

夫婦やパートナー関係では、

お互いのリレーションシップのバランスを取るのが難しく、

健康・お金・セックスという問題となって

バランス関係が出てくると書いてあった。

そうか、どこまでもポジティブな夫を

どこか能天気と捉えてしまって、

私はネガティブな気持ちになっている。

やはりまずは目の前のパートナーと

もっと向き合うようにしよう。

 

 テレビでやっていたのだが、

今はゲームもESElectronic Sports)といって、

世界大会まで開催される奥深さがあるらしい。

面白いなと思ったのは、

公式を見つけるだけでは大会では

優勝まで辿り着けないという。

お互いの心理を読みあったりする

精神力・体力も必要となるようで、

やはり事前に様々な取り組みを通して

自分自身を鍛え上げているのだそうだ。

 

なるほど。

少しはゲームに夢中な夫にも理解を示すことが出来そうだ。

自分のルーツを探る

2017年11月21日(月星座♐→♑)

今朝、夫が富山から帰って来た。

出勤時間まで少し時間的余裕があったので、

密教の話をしてみた。

夫が帰ってきた瞬間に何か違和感があったのだが、

直感とは案の定である。

全く私の話が理解できないようで

「消化不良の話を聞かされた」と

夫の顔色が良くない。

それに対抗する形で私の口からは

密教の勉強会に行きたいんだけど、

宗教的要素が強いので気が引ける。」

と一般ウケしそうな説明をしてしまった。

その後、いろいろ占星術の勉強をしたり、

本田健さんの「スイス人銀行家の教え」

を読んでいてはっとした。

今はとにかく「先祖」なり、

「自分のルーツ」という「深いところ」を

テーマとして取組む方が良いという

エネルギーが宇宙から注がれているのだ。

だから、なんとしても進化したいが為に

色々な感情が出てきているのだと思う。

しかし、人にはそれぞれ進化のスピードなり

気付きの段階は違うので、

相手が理解出来なくても、

相手や自分を責めたりすることの無いよう、

瞑想なりして自分と向き合っていきたいと思う。

はたまた、ふと頭に出てきたことのなのだが、

魂が輪廻転生を辿っている前提として、

女性は男性よりもはるかに

生まれ変わっている回数が多いのではないだろうか?

そんなことを今日は思った。

考え方の違い

2017年11月20日

昨夜は夫が泊りがけの出張で

夜から富山へ出て行ったので、

夜は食事の用意も自分にカスタマイズして

自由な時間を過ごせた!あぁ楽~!!

一人の時間も確かに必要だ。

夫が夜な夜な出掛けるのも分かる気がしてしまう。

ただ、問題なのは、夫はサラリーマンである。

となると、圧倒的にまだ

職場に縛られる時間が長いのだ。

つまり私と向き合う時間がほとんど無い。

その余暇で出て行ってしまうものだから、

夫と私が本当に向き合える時間は、

本当に貴重なのだ。

それを夫にも理解してもらえたらと思う。

自由な時間で夜な夜な

今年の1月にアメリカにリにトリートし

セッションを受けた際の音声を聞き直した。

3回目である。

しかし、今回も違う気付きがあった。

ハルミ先生はアストロロジーの星読みのプロだが、

彼女から「真言密教」のことについても

教えてもらっていたのだ。

熱心に当時の自分が色々質問していた。

残念ながらあまり記憶には残っていなかった。

ただ、今になってすごく何故か気になったのだ。

それは亡くなった霊たちの供養についてだった。

神社や寺が日本にはたくさんあるし、

昔から法事や最近では神社ブームなど、

身近に慣れ親しんでいる人も多いと思う。

「神様事はしておいた方がいい。して損は無い」

と友人も言っていた。

ただ、そこで昨夜、気になったのが、

我々の正しい知識の無さである。

一口に供養と言っても宗派によって

主張が違ったりするので、

あるところで矛盾が生じてくるのである。

私もスピリチュアルに興味を持ち、

勉強はしてきたつもりなので、

神社通いをしているし、信心深いと思う。

ただ、宗派の違いで、

相手を否定してしまう考え方って

あまり良い感じがしない。