noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

感情と向き合うこと

2017年11月9日

 昨日は天気が久しぶりに良くない。

そして相変わらずやる気を

コントロールするのが難しい。

でも、一昨日行動できたので、

ずっと気になっていた近くの

ホットヨガに体験に行ってみることにした。

ヨガをすると良いのは分かるのだけれど、

集中力のない私がするのは

結構しんどかったりする。

なのに、なんだかんだかれこれ、

社会人2年目くらいから、

少しやっては辞めてやっては辞めて、

の繰り返し。

でもいつもふと気になって、

色んな友達を巻き込んで誘って

一緒にやってみたりして、

なんだかんだ興味を持ち続けている。

 

 ヨガの良さを一言で紹介するのは

難しいけどよく言われるのは、

自分の体と向き合う時間を持てることだ。

ただ、私の場合は「体と向き合っている」と

意識すればするほど、変に体が緊張してしまって、

自意識過剰になり、

思う時に思ったパフォーマンスが

発揮できるように体をコントロールするなんて、

余計に出来そうにないなって感じてしまうものだ。

しかし、そんな私でも一番感じやすい効果がある。

それは、ヨガを終えてからのスッキリ感である。

一日経っても確かにある。

この得体も知れないエネルギーというのか、

ヨガが美容であれなんであれ、

一般社会に受け入れ入れられた背景であろう。

 

 ヨガを編み出した人が凄い。

きっとその人も自分のやりたいことを

探しているうちに、

思うがままに生きる絶対的な法則を

見つけようと突き詰めたのが、

自分の体と生きるという

ヨガであったのではないだろうか。

きっと、計り知れない苦難を乗り越えての結果であろう。

 

 東京スタジオは平日にも関わらず、

人が多くてびっくりしたが、

それでもあまり物怖じせず、

レッスンを終えられた事に更に驚いている。

10代の頃はこんなヨガの体験一つであっても、

友達を誘うなり、自分が「行く」と

相当な決意を準備できないと、

絶対に行けなかったのに、

今は少しの勇気でひょうひょうと

やってのけてしまうのだから、

進歩しているということかな。

 

しかし最近よく感じるのは、

以前はすごく楽しかった洋服の

買い物にそこまで熱が出ないことだ。

自分のモノを探すより、

夫の服を探す方が楽しくなってたりもする。

いやいや、大事にすべきは自分なんだけどな。

なんてことを思っていたら、

意識が現実に投影されたようで、

夫が帰ってきて、ご飯を食べ終わった後に

何も言わなかったことに無性に腹が立った。

「ご馳走様」とか感謝の言葉が一言もないのだ。

抑えようと思って、単純な皿洗いという

作業に入るものの、

モノを投げつけたくなるぐらい虫の居所が悪い。

自分でも自覚はあるが、

コントロール出来ない。

さすがに様子のおかしい私に

気づいた夫が「どうしたん?」と

声をかけてくれた。

「何が気に入らない?言ってみ。」と。

 

 感情のままに出てくる事を

言葉にして夫に言った。

すると少し落ち着いた。

やはり、お金のことを真剣に夫と

議論したつもりだったが、

現状が変わっていないことに

焦りを感じている事で、小さな事に火が付いたのだった。

 本当に幸いなことは、

疎ましい原因を作ってくれる夫の存在であり、

そして私の気持ちを言葉にしても

辛抱強く受け止めてくれる夫が

出来たということである。

人は当たり前のモノには感謝出来なくなるものだが、

こればかりは意識しないといけないし、

もっと自分の気持ちを柔らかく表現し、

人と感情を分かち合うにはどうすればよいのだろうか。