noafaの日記

紆余曲折の人生経験をありのままに綴ります。

受入の法則

2017年11月20日(月星座:射手座)

昨日から星の動きと気持ちの相関関係が

大いにあると実感したので、

日付に月星座を入れてみることにした。

 

昨日は夫と離婚の危機を乗り越え、

「財産になるマンションセミナー」へ行った。

たまたま両親が東京に来ていた際に

夫と4人で散歩しており、

街頭で配られたチラシがそれだったのだ。

配られたチラシはゴミになるから

受け取らないことも多いが、

「受け入れの法則」とか

最近母が言っていた「何でも受け取ることよ」

という言葉があったので、

最近は要るか要らないかじゃなくて、

提案されたもので可能な限りは

受けてみることにしたのである。

さすがに離婚の危機を乗り越えただけあって、

夫の態度も少し変わってきたように感じられる。

そのセミナーは前もって予約していたものだが、

行くまでに洗濯物を手伝ってくれたり、

ブランチに誘い出してくれた。

セミナー自体は基本的な事だったが、

全く知識が無いので初めて聞けて面白かった。

他の参加者も1名しかいない

こじんまりしたセミナーであったので、

夫も気に入ったらしく「なかなか良かった」

と言っていて、今後の我々の住宅問題も少し夫と話し合えた。

危機にはマインドを正しく使う

2017年11月19日

昨日は、無断ランニングから戻った夫と冷戦状態が始まった。

私も夜によく寝られなせいで、腹の虫の居所が悪く、

夫に自分からなかなか歩み寄ることが出来ない。

すると、マインドが働いて余計に

「どうして、機嫌の悪くなった妻に心ある一言かけられないの?」

とか夫の責任にしてしまう思考になる。

ようやく口を開いた夫が「今日は出掛けるのは辞めるの?」だった。

実は深海誠展のチケットを購入しており、

今日が一緒に見に行く約束の日だったのである。

全然気分は乗らなかったが、

夫が振り絞った一言だということは唯一理解できて、

ぶっきら棒に「行こうか」とだけ辛うじて返事をした。

決めたらやる。

ただ、冷戦状態なので、一緒に歩いていても

会話も発展せず、つまらない。

ただ、一つ思ったのは、

この愛の冷め切った状態を自分はどうしたいのだろうか。

と考えた時に、

夫を好きとか愛しているという気持ちの有無よりも、

この冷え切った心に嫌気がした。

なんとか私の大切な心を温めたい。

では、どうするか?

と考えた時に、いろいろとスピリチュアルの勉強を

してきたことが役に立った。

「自分から愛そう」である。

とはいうものの、冷戦状態の夫に

自ら愛想をふりまくなんて至難の業である。

だからできる範囲で最大の笑顔と

最大の持てる愛想をふりまいてみた。

我ながらいつの2割ぐらいの力しか

出ていないのが分かる。

でも、これが今、出せる最大限であった。

それに反応してボチボチ夫も言葉を発するが、

私の心にしこりがあるせいで、

いちいち突っかかってしまう。

「先にランチにするか展覧会鑑賞にするか?」

と夫が提案してきたのだが、

時間帯はお昼時で私はお腹が減っていたが、

ランニングから戻った夫は遅めに食事をしており、

(おまけに彼は食欲に任せて

私が買っておいたデザートまで食べていたのだ!)

「展覧会にすっか」っと夫が判断したことに

「自分はお腹減ってないんでしょう

(何も周りのこと、私の事を考えずに

行動するなんて本当にひどい)」と

強い口調で言ってしまう。

どうして素直に内の気持ちを伝えられないんだろう。

そんなことが重なって、ランチ時に

夫が発した言葉に事件が起きた。

「言葉を発したら、傷つけちゃうんで

もう何にも話さないようにします。」と

ぶっきら棒の顔で言ったのだ。

色んな事が頭の中を駆け巡る。

話さないってどういうこと?

こんな人とどうやってこれからやっていけばいいの?

なんで結婚しちゃったんだろう?

どうやったらここから逃げられる?

全ての景色が無機質に見える。

終盤になった食事のデザートも急に無味になって、

体が受け付けていないのが分かる。

あぁ、この感覚、思い出した。

結婚を前提にと言われて付き合っていた元カレに

突如として別れを告げられた数日間、

どうしても食事が喉を通らなかったのだ。

なぜだろう。

夫とは絶対に何でも言って、

私は自然体に振舞うって決めて行動していたし、

それでいても結婚を夫から望まれたから、

宇宙からの祝福のメッセージだと捉えて

結婚したのに、、、、

どうしたらいいのだろうと途方に暮れる。

けれど、ふとまた冷静に、

この状況を私はどうしたいんだろうと

意識を意図的に使うことが出来た。

というのは感情は夫に対して

目の前の私を幸せにしてよ!

夫でしょ!何か喋ってよ!!

と言っているのが分かった。

それでも、そこでふっと大きく一歩引いて、

客観的にこの状況を見たのである。

そして、祈ったとも言える。

宇宙を信じて任せたのだ。

「私はこの関係をぶち壊したいわけじゃないはず。

だけど、今は目の前の夫を愛しいと感じられません。

この感情を共有するのにはどうしたらいいか教えてください。」と

冷静に知性を使った。

すると、次の瞬間ほぼ無意識に

デザートに私の手が伸びて、

「美味しい。」と自ら言い、

夫に向かって「美味しい?」と聞いていた。

すると、夫も「うん、美味しい。そちらは?」

と精一杯そうに言ってきた。

そこから会話が徐々に弾み、昨日の事件まで遡り、

お互いの気持ちを素直に述べ合うことが出来て、

私もまた偏ったレンズで物事を見すぎていたのかもしれない

と自然と思えるまでに回復した。

結局、根本の原因として、ありきたりだが、

どちらか一方が正しくて、一方に非があるというわけではない。

そのことをを意識を使って、そういう風に思えるかである。

すると後はもはや自動的に心の中が満足してくる。

深海誠展で、彼の製作のテーマがなんと

「喪失と再生」であったが、

まさにこの私たちのパートナーシップにもあり、

それが何を隠そう「死と再生」の星、さそり座の影響なのだ。

価値観の違うものの共同生活

2017年11月18日

 昨夜は気持ちが収まらないので、

アメリカの占星術的の先生ハルミさんの星読み徒然草https://www.harumiohata.com/

「さそり座木星イングレス」を見て、

自分のホロスコープ的に

今のエネルギーがどうか何度も確認した。

「自分では意図しないけれど、

社会的責任を負わされて

社会的ローモデルになる可能性がある」

「自分が辛い経験をしたなかで、

同じように社会的に日の目を見ない人を

照らす灯台のような光になる」

「そのためには、まずは自分が真実と

思うことをしっかりと出来ているか

見直す必要がある」とのことであった。

自分の真実ってなんだろう。早く見つけたい。

 

 それと夫と私のホロスコープを合わせた

エネルギーも見たところ、

「パートナーシップで行き詰まりを

感じることが表にまざまざと出てくる。」

「そこにいちいちガッカリしない事。

生まれる変わるためには危機というものを

通してでしか見えないものがある。」

とのことであった。

まさにこのエネルギーが我々に

流れ込んでいるのだ。

30年間違う価値観で生きてきた者同士が

同じ共同生活をするのは生易しいことではない。

お互いの価値観を一旦ドロドロに溶かして、

新しいものを作り上げる作業に痛みが伴うのだ。

だから私は夫に向き合っているつもりだ。

ただ、昨夜も感じたが、夜は彼は無意識だろうが、

寝言を言ったり激しい寝動きを繰り返して、

私は最近よく寝られない。

それに今朝も彼は何も言わずに出て行った。

恰好からして走りに行った様子だ。

目の前にゴミを出していても

「出してきてくれない?」と

わざわざ言わないとそれに気付かない。

前職でもよくあったのだが、

それは私が非常に苛立つことだ。

私からしたら、仕事が目の前にあると思うのに、

みんなそれが見えないみたいで無視する。

だから、誰一人として、その仕事に取り組まない。

それは誰かがやらなければならない必要な事なのに。

仕方なく自分の為だと思ってずっと

それを一人でこなしてきた。

でも、それ自体が評価されることは無かった。

限界がきてキャリアを全て手放したのだ。

手放したことによって手に入ったのが

この結婚である。

さて、どうやってマネジメントしていこうか。

 

夜に寝られなくて苦しい、

前職での痛み、

これは今世での経験だが、

人の魂は何度も生まれ変わって

記憶として

無意識に刻み込まれるので、

積み重なった痛みが

現状のふとしたきっかけで

暴れ出してしまうのだろう。

夫は夜中に無意識の行動もそのためだろう。

仮にこう考えてみた。

夫は過去世でずっと妻を虐げてきた。

私は過去世でずっと夫に虐げられてきた。

お互いその痛みを克服するために、

今世では真逆の役割を演じてしまう。

そう考えると妙に納得してしまうのは

私だけであろうか。

 

夫への披露

20171114

 今日は雨だったので、一日お籠り生活をした。

夫にこの日記を見られた。

しかも、一番ホルモンバランスが乱れて感情が爆発していた日のものを。

多少、夫の顔色が変わっていたので、

「ショックを受けているの?」と聞いたところ

「これぐらいでショックを受けてどうする」と言っていた。

つくづく強い夫だと思う。

だから、私の夫が務まるのだろう。

 

 夜にふと思いついて、ある出版社をネット検索してみた。

すると、たまたま未経験でも中途採用30歳まで行っていた。

勢いで応募してしまった。

 

 さてこの日記も応募も吉と出るか凶と出るか。楽しみだ。

全て宇宙にお任せしてみようと思う。

 

他人軸

20171113
 昨日は久しぶりに私は社会性を取り戻した。
というのも、友人が彼女の友人を連れて
自宅を訪ねてきてくれたのである。
よく人通りを知らない人とケーキを作って
お茶をする。
そして他愛もないない会話をするのだ。
コミュニケーションとは
感情を分かち合う能力だなと、
この会では思った。
そして、自分も不安をさらけ出し、
結論の出ない会話をすると
自分の中で意思が少しハッキリしてくる。
これが女子会の醍醐味である。
 また、一つ勉強になったこと、
というか心に残ったのは、
彼女たちの学歴、キャリアは超一流である。
そんな彼女たちですら、社会に出たら、
学歴だけではどうにもならない世界を
目の当たりにしており、
「自信を無くす」そうだ。
そして、やればやっただけ成果の出る
勉強が自然としたくなるというのだ。
私は自信を無くしやすいと自覚しているので、
自分だけじゃないという安堵感を感じる。
これでは軸が他人になってしまうので
ダメだなと思いつつも、
人と一緒ということは良くも悪くも
安心してしまう事だなと思う。
「人にどうこう言われて気にしてはいけない」
「どんな時も自分を信じて」と
よく目にするが、
これはやはり人間にとって容易い事では無さそうだ。

 

小悪魔の極意

20171112

今日は夫が漸く休みなので、朝は朝食作りをせず、

夫と同じようにソファーでゴロゴロしてみた。

昨日の気付きを活かして、

良き妻を目指してとか肩肘張らず、

夫も休みだし、私はお腹減らないし朝食作りはいいや、と放任してみた。

 

すると、しばらくして夫がやはり「ご飯は?」と言い出す。

いつもの思考なら「ご飯は?」に対して、

「そんなん、子供じゃないんだから自分で用意できるでしょ!

なに?私にやれってこと?」と捉えてしまうのだが、

少し冷静でいられて、

夫は朝ご飯が無いなら食べに行こうとか、

単に次の選択をしようとしている。

しかも、そこに彼なりに私を考慮に入れてくれているのだと捉えることが出来た。

 

すると、次の夫の言葉は「食べに行く?」だった。

私は昨日の残りもあるし、

今すぐ外に出掛ける気分には自分をもっていけないので、

こうしてこうして欲しいということを全て説明した。

さほど体調が悪いわけではないが、

全て自分で完璧に思う状況を作り上げようとせず、

夫に助けを求めたのだ。

すると夫は指示通りに動いて、ちゃっちゃと朝食を準備してくれた。

いつもなら私もすぐに手伝うのだが、

今日は思い通りに空いた時間で自分の身支度を整えた。

つまり、いつもより時間を掛けて

丁寧にメイクして女性らしく整えたのである。

夫は分かり易い。

最初は指示されて朝食作りをしていることに、

やってやってる感があったが、

いつもより丁寧に整えた私の身支度を見て、

夫の顔色が明るくなったのが分かった。

やはり男性は女性らいしい女性を本能で愛してしまうのだろう。

世にいう「小悪魔になれ」とはこのことだ。

小悪魔と聞いて、私は女性としてあまり好ましくない表現だとは思うが、

行き過ぎは良くないにしても、このことから学ぶべきことがある。

「男性は女性に尽くす、

女性は男性に尽くされる。」

が自然なWIN-WINの関係なのだと思う。

その為、よくありがちな、尽くし過ぎた女性が良くない男性と

付き合ってしまうのが一般的な失敗例であろう。

もちろん私も経験済みだ!!

自分らしさ

20171111

 今日は、というか最近、

近所で小さい親子連れを見ると、

里の事が思い出されて涙が出てしまう。

子育てってつくづく大変そうだなという、

自分もこれから

そこへ突入するのかという不安と、

自分が小さかった頃に

親から受けた愛情を思い出してしまうのだ。

気付けば、胸が痛くなるぐらいに

気持ちが詰まってくる。

でも、私はもう我慢しないことにしたのだ。

 

 本来、仏教用語で「我慢」とは自分で自分に

慢心してしまうという悪い意味だが、

現代の日本文化では「奥ゆかしさ」といったように、

「我慢」が美徳とされる傾向にあるので、

私は今まで無理して「我慢」に

どっぷり漬かってきた。

だから、社会で気を遣いすぎで人と接し

我慢するあまり、慢心してしまって、

変なところで感情にブレーキが

かからなくなってしまうことが多々あったのだ。

 

 今は、幸いにも

家に居られる時間が長いので、

無理に涙を止める必要がなく、

泣きたい時には涙を流して浄化する。

すると、ある考えが浮かんできた。

 

自分が何になりたいか。

本当はどうしたいか。

更々分からなくて苦しい。

 

 そんな時にテレビで出ていた女優の

話から、緊張を隠して強く必死で

努力している様子が見て取れた。

その姿と比べて、自分はそんなに

ストイックに何かに取り組むなんて

やはり無理だと打ちひしがれる。

やはりテレビに出られるような

突出した成功者には到底近づけない。

と、自分を責めてしまうのだが、

ありのままに涙を流していてふと思えたのは、

その女優のような努力出来る姿は確かに美しい。

けれど、それを認めたうえで、

例え自分がそれに値しないからといって、

どうして自分を蔑んで見る必要が

あるのだろうか。

何かになりといと強く願って

達成させた人はもちろん素晴らしい。

しかし、例え何かに成れなくたとしても、

自分が自分であることを認められたら、

それこそ本当に素晴らしいことではないのか。

と思えた。

自分が自分らしくいる、つまり

その為には自分の事をよく知る必要がある

のだろう。具体的にはどうするのか。

 

 それを見つけるために毎日祈ることにした。

「私が本当にしたいこと、

魂の目的を教えてください。」と。

そして、出来る限りこの感情日記も続ける。

何故ならば、とても良い記録になるし、

後で自分が思っていたことを

振り返ることで新たな気付きがもらえるからだ。

そうやって自分と向き合えることが

何よりもの生きる良薬だ。 

共感の効用と巣立ち

20171110

あっという間に一日が過ぎる。

今日はこの日記をブログ配信しようと

思って朝から取り掛かったけれど、

いまいち自分の気持ちが軌道に乗らない。

成功体験のため、成功者を模倣するのは

良い事と言われるので、

真剣にやろうと思うが、

「誰がこの日記を読んで、

共感してくれるだろうか。

一体何のために?」という

ネガティブな気持ちに負けて、

今まで大きな成功を成した感覚がないため、

儚く自分の理想ライフスタイルの

イメージングは消えてしまう。

何故この感覚で終わってしまうのだろうか。

 

 なぜかというと、人は人との関りの中で

生きている事に由来すると思う。

共感という他人の力が欠かせないのだ。

私は、サラリーマン時代は母のように、

旦那が稼いできてくれて、

家で悠々自適の専業主婦をするのが夢だった。

今、収入は父ほどでないにしても

夫が真面目に外で仕事をしてきてくれて、

世間的には専業主婦というポジショニングである。

実際になってみると、

よく母が言っていたことを思い出して、

ああそうなのか、と思うことがたくさんある。

毎日毎日、気分が乗らない時も体調が悪い時も、

無理して会社に行くことが

死ぬほど嫌だった私に

「毎日行くところがあることは良い事よ。」

と母は言っていた。

どうしてそれを覚えていたのか謎ではあるが、

今なら身に染みて

母の言っていたことが理解できる。

それと同時に母の気持ちに共感するのである。

 

どうしてサラリーマン現役時代は、

その母の気持ちに共感が出来なかったのだろうか。

要は、自分の事しか考えていなかった

ということが露呈する。

つまり、人それぞれのステージがあり

学ぶべきテーマが各々違う人間が

寄り合って生きている社会なのだから、

ステージの違う人間が生きるとは大変なのだ。

 

 毎日毎日、何もしなければ

何も始まらない世の中で、

朝昼晩と自動的にお腹がすき、

時に、睡魔などに襲われながら

なんとなく生きていて、

そして他人の芝生が青いのである。

 

私はそのことが頭では理解できているので、

早く、真の意味で腑に落としたい。

 

 慰めに書くとすると、

「わからない」ということは仕方ない事である。

験勉強で体験したが、

参考書などの同じ文章を読んで、

1回で分かる人もいれば、

100回読んでも、理解できない人もいる。

私はちょうど中間層の人間だと思っている。

分かる時はすぐ分かるのに、

分からない時はどうしても分からないのである。

そんな時に無理矢理に問題を解くなどの

実践を行ったりするのが対処法である。

すると、何となく問題は解けるのだが、

真の意味で理解していない。

だから、記憶からすぐに消えるのである。

すなわち、やり続けなければいけない。

これが人生においても存在する

ラットレースのようなものだ。

生きるということが何か分からない、

だから、とりあえず学校に行って、

会社に行って、とりあえず同じように

している人と繋がって、

励まし合いながらやっていく。

それが社会というものだろう。

 

 だから、ネットサーフィンして発見した

大成功した人の言葉は、自分に経験がなく

実際の見聞ではないのでどこか他人事だし、

それを模倣して実践しているような

駆け出しの起業家やコーチングの人の言葉は

どこか自分のネガティブな気持ちに引っかかる。

なんというか、条件付きの信用を「しなければ」

成功しない世の中なんだよ!

と言われている気持ちになる。

 

 だから、私は可能な限り

自分の素直な気持ちを、

あるがままに全てさらけ出したい。

それでいて、

共感してくれる人を広げていきたい。

書いていて気付いたが、

生まれてから結婚するまでの

応援者第一号は両親であったが、

新生活での応援者第一号は

何を隠そう夫であるのだ。

両親は応援者というか、

もはやサークルなどの団体でいう会長?

クラスに昇格だ。

他の人とは次元が違う。

自分を生み出してくれた人。

本当に感謝しているし、恩返しもしたい。

だから、これからは夫と二人で

まずは頑張っていかないと。

「頑張る」という言葉も使いたくないけれど、

ほかに表現する言葉が今のところこれだ!

というものが見つかっていない。